今日は、てんつくマンのメルマガから掲載させていただきます。
とても素晴らしかったので、自分でも
また読み返せるように自分のブログに載せました。
この本は鞍馬山の天狗さんが、人間に般若心経の意味を教えてくれるっていういい感じにぶっ飛んでるのがいいねん。
電車の中で、なるほどってうなってしまった。まじで凄い!!。
「なぜ、人間は苦しみを除くには、他を変えようとするようになったか?」
天狗口調で書いてあるねん。
人間どもは、苦も厄もすべて外からやってくると思いこんでおる。
よいか、人間とは生き物じゃ。
生き物は、まず、おのれの生命を維持せなばならぬ。
それには、否応なしに他のいのちを食わねばならず、また逆に、他から食われぬようにせなばならぬ道理じゃ。
しかも、そのうえ、おのれのいのちを次の世代に伝える、つまり生命を伝播せねばならぬ。
そのためには、交配して作った種子をまき散らして繁殖するとか、もしくは、出産した子を育てるとかするわけじゃ。
そして、この生命維持と生命伝播に成功した種族だけが、今まで生のびることができた。
生き伸びるために、あらゆる生き物は、さまざまな形に進化をとげて来た。
植物や動物にとって、進化とは、たいてい環境に適応すべく己の体を変化させる作業じゃった。
とげをつけたり、粘液を出したり、つるを伸ばしたり、
動物は、首を長くしたり、耳を大きくしたり、身を毛で覆ったり、鱗で包んだり、牙を伸ばしたり、羽を作ったり、ヒレをつけたり、環境にあわせておのれ自身を適応させたのじゃ。
ところが、人間どもは横着な無精ものでな、おのれを変えずに環境を変えよった.
環境の方をおのれに適応させたわけよな。
野山を歩いて採集しておった食い物は、田畑を拓いて栽培し、漁したり狩りとったりしておった獲物は、牧場や養殖所を作って飼育し、その結果、身近な所に食料を確保し、好きな物を好きな時に、好きなだけ食えるようになった。
食う物の労苦を、環境を作り変えることによってのがれることが出来たということじゃ。
着るものにしても、はじめはイチジクの葉っぱで隠しておったのを、それだけでは寒いと、他の動物の毛皮を奪って身にまとう。
植物の繊維を紡いだ糸や蚕の糸で布を織り、それでもって着るものをつくる。
ということは、己自身に毛を生じたり羽毛を生やしたりせずとも、他の生き物の毛や繊維をおのれに合うように作り変えて、寒暑や外的から苦しみを免れたということにほかならぬ。
住まいにしても同様じゃ。
人間どもは、生きるためのいろんな苦労を免れるために、己以外のものと環境を、せっせと作り変えてきた。
要するに生きる苦しみも働くつらさも、おのれ意外のもの、他を変えることによって、免れてきたわけじゃ。
そうやって、進化した結果、人間どもは長い間に
「苦しみをのぞくには、他を変えればよい、苦の原因は他にある」という考え方を植えれられてしもうたんじゃ。
都合の悪いこと、困ったこと、わずらわしいこと、苦しいこと、辛いこと、みんな他のせいにする。
悪いことは他人のせい、社会のせい、政府のせい、国のせい、外国のせい、自然のせい、はたまた神や仏のせい。
己自身は間違っておらぬ。
間違っておるのは、他人だ。
責任は他人にある。
とこう考える。じゃが相手も同じように考えるから、衝突し争いになり、ひいては戦争すら引きおこす。
これでは苦を作り出すことは出来ても、苦の原因など分かりはしない。
原因が分からねば、苦をのがれることは出来ない。
ここから大事よ〜
苦しみも悩みも、実際はおのれ自身にある。
何となれば「苦しい」というて、その苦を苦しむのは一体だれじゃ?
おのれじゃろうが。
おのれ以外にはない。
おのれが苦しむ。
おのれの中をよう見るのじゃ。
さすれば、おのれの心が苦しんでおるのがよく分かる。
心が苦しむ、心が悲しむ、心が怒る、心が喜ぶ、心が楽しむ、そうじゃろう。
他人が苦しむのではない。
あの電柱が、あのカシの木が苦しむのではない。
おのれ自身が苦しむ。
まさしくおのれの苦しみにほかならぬ。
ならば、この苦しみを乗り越えるには、おのれ以外を変えてみたり、他のせいにしてみたところで始まりはせぬ。
まったくの検討はずれよ。
外側を変えるのではなく、おのれの内側、心を調べてみるしかない。
「苦しい」と思う心の動きをつぶさに調べてゆくと、奥の深いところに素晴らしく、絶妙な力が潜んでおることが分かる。
それを洞察さえすれば、些細な苦悩や災厄なんぞ、雲散霧消し吹き飛んでしまうわ。
以上、これが般若心経の「度一切苦厄」の意味やねんて。
環境を変えることが悪いということではなく、今の自分の考え方はそうやって、生まれたということを知りなさいね〜っていうことやねん。
いやぁ深いね〜。
これから、いろんなことが起こる可能性が高い。
大事なのはそれに対応する心を育てることやね〜。
確かにそうなんです。
大嶋啓介さんのことばでも
「親が変われば子供が変わる」という言葉がよく出てきますが
子供を変えようとあれこれ言うより
親がかわればいいんですね。
もっとっもっと私もがんばります。